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<<   作成日時 : 2010/03/11 17:39   >>

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確定申告の締め切りまで、まだ日があると思ってのほほんとしていたら、
もう3月も11日である。

4日前、写真をプリントしようと思って現像液を希釈してバットに注いだけれど、そのまま今日まで何もしなかった。

最近、時々、45年から50年前の写真プリントをスキャナーで読み込んでPhotoshopで処理している。
生まれ育った町の風景を、印画紙上からデジタル媒体へ移しておこうと思うのだ。
実家で古いアルバムを探し出してきた。
その中の写真は、僕と弟の幼い頃を中心とした家族スナップばかりである。
だから、町の風景といっても人物の背景としてわずかに写っているものがほとんどである。
もちろん、それらの写真は、僕が撮ったはずもなく、多くは父が撮影したものだ。
当時のプリントは、名刺サイズのものが多い(手札サイズになるとプリント代が高かったのだろう)。
写真は、モノクロームである。

アルバムを眺めていると、もちろん懐かしい。
また、道筋以外の過去の痕跡が容易には見いだせないほどに変貌した現在の風景との差異に、人を追い立て、都市を、風景を変貌させていく歳月の力を感じ、少しやるせない気分にもなる。
時間は、容赦なく進んでいく。

半世紀近く前、幼い僕の網膜に映った風景への認識は、今も記憶に残るイメージと同程度におぼろげなものだったかもしれない。
しかし、写真の中の風景は、僕の記憶よりもはるかに鮮明にその写真が撮られた時のことを伝え、教えてくれる。
そして、それらのイメージとともに記憶の底の方に潜在する、往時の感覚の記憶がよみがえってくる。
周囲の音や風、土の色と匂い。
家の前を行く竿竹屋の声、豆腐屋の小さな鐘の音、麦茶の行商の声、紙芝居屋の拍子木、ロバのパン屋の歌が聴こえ、屑拾いの後ろ姿、そして土ぼこりにまみれている僕の足下が見える。
僕は時間軸を遡行して、やや眩しげな写真の中の日なたに立っている。


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