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zoom RSS 春日野道

<<   作成日時 : 2009/09/14 22:35   >>

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「春日野道」について書こうと思ったのは、GR1sを修理に出した日に中之島でばったりお会いしたさる方との会話の中で、「春日野道」が話題になったことがきっかけだった。
その会話の時には思い出せなかった、僕の春日野道の記憶について書くつもりだった。

それは、僕がまだ西灘に住んでいた小学校2年生(昭和41年)頃のことである。
灘浜から脇の浜、生田川にかけての海岸沿いは、工場地帯だった。
春日野道は、西の区境を越えた葺合区(当時)脇の浜の北側に位置している。
南北に延びる春日野道商店街の東にダンロップ、南には川崎製鐵、その東には神戸製鋼の大きな工場があり、高い煙突が幾本も立っていた。
街は、いつも埃っぽく、たぶんゴム工場から発生したと思われる(違っていたらゴメン)においが漂っていた。
今でも、春日野道といえば、先ずこのにおいのことを思い出す。
春日野道の上空は、いつも夕方になると赤かったような覚えがある(これは単なる夕照だったかもしれないが)。
浜側を覆い隠して並び立つ工場群には、得体が知れない不気味さを感じていた。
反面、工場の中では何か僕をワクワクさせるようなことが起こっているのではないかという好奇心も持っていた。
獣の遠吠えのような工場のサイレンは、遠くで聴くと哀愁を帯びていた。

当時、たまに母に連れられて三宮に出る時は、西灘から阪神電車を利用することが多かった。
三宮のひとつ手前の駅が春日野道である。
下車したことはなく、停車した電車のドアが開いている間にホームの様子を覗くだけだった。
上りと下りの線路の間にある狭い地下ホームは、照明も暗く、闇の中にぼーっと浮かんだ砂州のようだった。
トンネルの壁面に、ペイントのくすんだ駅名表示があったような覚えがある。
ホームの端にさらに地下へ下りていく階段があった。
もちろん改札口と通じているのだろうけれど、なぜ地上へ出るためにさらに地下へ下りるのか不思議だった。
僕は、その階段が気になってしかたがなかった。
長くて薄暗く、僕には、人を吸い寄せる悪徳の巣か奈落の底への入口のように見えていた。
階段を下りていけば、悪人たちに捕われて地下から出られない一生をおくることになるかもしれない、などと想像したこともあった。
小2のこどもにとって、それは恐ろしい想像だった。

しかし、春日野道駅の階段の先はどうなっているのか、一度は自分の目で確かめてみたいという思いが、だんだん強くなっていった。
阪神春日野道駅は、誘惑のラビリンスであった。

ある日、僕は春日野道駅探検を決行した。
友達の家に遊びに行くと告げて家を出て、阪神電車に乗ったのだ。
持ち金は、たぶん岩屋駅からの片道分の電車賃しかなかったと思う。
歩いて帰った記憶があるからだ。

「この階段の先はどうなっているのだろうか、改札口へはどこにあるのだろうか、改札を出たら地上へは、いやそもそもこの階段の先に改札口などあるのだろうか・・・」。
疑問が解決される時がきた。
時こそ今は、いざ下りなん!
が、しかし・・・・。

あろうことか、僕は、その時の記憶を失っていた。
少し細かくいえば、岩屋駅で切符を買ったところまでは覚えている。
しかし、春日野道で下車して、どういう経路を辿って歩いたものか、国鉄(現JR)灘駅の北側の広場に疲れて座っていたところまで、記憶がとんで欠落しているのだ。
あの階段を下りて、その先にどんな風景があったのか見たはずだけれど、思い出そうとしても何も脳裏に浮かんでこないので、
「僕は、春日野道駅のホームに降り、念願だった階段の前に立った。
そして、」と書くことができない。

いつしか、阪神春日野道駅の階段は、ホームから直接改札口に上がる形に改造された。
いつも強い風が吹いている階段だった。
そして現在、その階段と狭いホームも既に役目を終え、線路の両側に新しいプラットホームが建設されて久しい。
HAT神戸の最寄り駅として、川鉄の本社や葺合工場に通じていた地下道共々生まれ変わっている。

結局、かつての阪神電車春日野道駅は、僕には永遠にラビリンスのままである。
僕は、自分の記憶の頼りなさに呆然とする。
僕には、ホームの薄暗い階段の先に何があったのか明かすことができず残念だけれど、あの階段も、春日野道の路上に漂っていたにおいも、そこに居た僕も、高度成長期さ中の神戸でのまぎれもない現実だったと、せめてここに記しておこう。

 春日野道駅探検の決行から十数年後、僕と春日野道は再び縁を持つこと
 となった。
 幼い日、得体が知れない不気味さを感じた工場は、じつはわくわくする
 場所だったけれど、
 そこへ納入した製品に発生した得体が知れないトラブルとの闘いで、
 入り込んだ迷宮でもあった。
 阪神電車を利用することは少なかったが、商店街の飲食店はよく利用
 させてもらった。
 その頃から、さらに十数年が過ぎた。
 かつての工場群は、ベイサイドの新都心へと変わった。
 今、新しい街に僕の友人や知人も生活していて、僕も時々お邪魔させて
 もらっている。
 記憶が生まれた場所の風景は様変わりしたが、時にはその痕跡を見つけて
 「なるほどー」と
 何かがわかったようなふりをしている。


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