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みんなの「旅」ブログ


姐御がバリへ飛び立ち、僕も旅に出たいと思った

2014/06/18 23:55
友人である姐御が、バリへの旅に出た。
今頃ラタンのロッキングチェアでゆらゆらしながら南国のカクテルなんぞを飲んでるんやろなーと勝手に想像して羨ましがっている僕は、ここ10日ほど10年来の持病の再燃であまり食べることもできず、どうにも冴えまへん。
ま、冴えないのはどうでも良いけど、僕も外国へ旅に出たい、と強く思うのです。
南の島へも行ってみたいけれど、いちばん行きたいのは、子どもの頃から憧れているニューヨーク。
ウィリアム・クラインの写真集のページをめくりながら、60年前のNYの痕跡をたずねて歩くのであります。
フィルムも300本くらいは持参して、トレースした場所を片っ端から撮っていきます。
そして、ウィリアム・クラインの写真集の中の僕の大好きなカットに写っている、街角の大衆食堂みたいなレストランのポップに書かれていたメニュー”子牛のカツレツ”を食したい、と思うのです。

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3月 近況

2010/03/07 11:43
五十肩の症状がなかなか改善せず、不便な思いをしている。
扉のノブに腕を伸ばす時、トレーナーやパーカを脱いだり着たりする時、シャツの裾をズボンの中に入れる時、背中が痒い時・・。
腕を上げたりねじったりすると、肩と上腕部に鋭い痛みが走る。
病院で電気治療を続けているけれど、そう頻繁に通院できない。
1回10分の治療で、いつになったら治ることやら。


このところ暖かい日が続いている。
まだしばらく、寒さのぶり返しはあるだろうけれど、春がきた。
散歩道に沈丁花の香りが漂っている。
今年は、ツバメの飛来を見落とさないようにしたい。


何かを感じた次の瞬間に、その風景は視界から消えている。
心を掴まれたのに、カメラのシャッターが間に合わずフィルムに定着しそこなった光景が、いかに多いか。
忘れまいと思っても、次から次へと身体を通り抜けていく無数の風景に押し流され、いつしかイメージはおぼろげになり、記憶の層に埋もれてしまう。
そうして遠い記憶のかけらになった風景は、何をきっかけにして再び意識の表に浮上してくるのだろうか。
思いもかけない時と場所で、ふいに心に浮かび現れるイメージは。


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クリスマスツリー 2003 Germany

2009/12/10 03:17
6年前の12月、再びドイツを訪れた時、カウフボイレンの近くのゲルマリンゲン(Germaringen)という町のホテルに泊まった。
乾燥した牧草か堆肥か、発酵したような匂いが漂う田舎の町だった。
こじんまりとした佇まいのホテルの玄関の看板には、壁をよじ上るサンタクロースが飾られていた。
あと2週間ほどでクリスマスがやってくる。

ホテルの廊下では、大きな猫がクリスマスツリーの番をしていた。
そのツリーは、年季が入った感がある丸い玉や星、モールなどが飾られ、電飾は少なくて地味な感じがした。
日本人が飾るクリスマスツリーと違って、宗教的な意味合いが濃いのかもしれないと思った。
ツリーを眺めていたら、ホテルのオーナー夫人が、猫を抱いて微笑みながら話しかけてくれた。
「いいクリスマスツリーでしょ」と言ったのか、それとも「この猫かわいいでしょ」と言ったのか、ドイツ語がわからない僕は、見当がつかず、にこにこと笑い返すしかなかった。

近年急に増えたLEDの光きらめくツリーやオシャレでかわいいツリーばかりを、街で見慣れているので、ちょっとくすんだ感じのこのツリーが、懐かしいものに感じられた。
ツリーに飾られた古いオーナメントは、ひょっとしたらこのホテルのオーナーの家で代々受け継がれてきたものだろうか。
この国の人たちは、クリスマスツリーにどのような思いを抱いたり、託したりしているのだろう。

僕は、こどもの頃に買ってもらった小さなツリーのことを思い出した。
母と弟と僕の3人で飾り付けた。
ちぎった白い綿をプラスチックの枝葉にからませ、雪に見立てた。
スイッチを入れると豆電球が点滅し始め、幻想的な光に見入ったものだった。

慌ただしい出張の合間の、静かな夜だった。
僕はクリスマスツリーと猫の組み合わせがなんだか気に入って、あまり動かない猫と戯れ、写真を何枚か撮った。


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ドイツ

2009/11/16 02:35
釜石線で雪に遭った5日後、僕はドイツに出張し、そこでも雪に遭遇した。
僕にとって、初めてのヨーロッパだったけれど、滞在中(4日間)、毎日雪に降られたのだ。
滞在先は、ミュンヘンの南西80kmくらいにあるカウフボイレンという町である。
中世の面影を残す美しい町で、雪を纏った街並のモノトーンのイメージが、忘れ難く僕の脳裏に残っている。
普段、毎日連続で雪が降ることはないということで、当地の人も驚いていたようだ。

帰国前日がオフとなったので、有名なノイシュバンシュタイン城へ観光に出かけた。
その日も雪はやまなかった。
カウフボイレンからフュッセンへ向かう列車の窓から見る風景は、釜石線と同じく天地の境界が判らない状態だった。
ノイシュバンシュタイン城も雪煙の中に建っていた。

その日は、夜までにミュンヘンのホテルに着けばよかった。
帰りの列車に揺られている間も、雪はあいかわらず降っていた。
幸い到着の遅れもなくミュンヘンに着き、マリエン広場近くのレストランで、暖かい夕食をとることができた。
ミュンヘンの市街にも積雪があったけれど、雪は夜にはほとんど降り止んでいだ。
問題だったのは、その次の日、ミュンヘンにまた雪が降ったことだ。
フランクフルトへ向かう飛行機が、搭乗後になかなか飛び立たず、帰国便への乗継ぎが怪しくなってきてあせった。
ぎりぎりで乗り継ぎに間に合ったものの、やきもきさせられて僕は疲れた。
釜石、ミュンヘンと、つくづく雪でえらい目にあった2003年の冬だった。

ということで、釜石線の車窓との対比で、フュッセンに向かう車窓から撮った雪の風景の写真を載せようと思ったのだけれど、なんとプリントが行方不明になって見つからないのである。

再プリントしている余裕がないので、別の写真を載せる。
ミュンヘンの新聞スタンドのスナップが、なかなかいけるのだけれど、「雪」のことばかり書きながら「新聞スタンド」というのもなんだかなあ、ということで、カウフボイレンの雪の街並のスナップを載せることにした。
じつは、以前のブログにも同じカットを載せたのだけれど、あの時はネガフィルムをそのままスキャンしたインスタントバージョンだった。
今回は、印画紙にプリントしたものをスキャンした画像である。
ま、エラそうに言うことでもなんでもないけれど、一応、手間ひまかけたものなのである
(と、エラそうに書いたけれど、ふつうに印画紙に引き延ばして焼き、現像、定着したモノです)。

それにしても、そろそろドイツにも新しい写真を撮りに行ってみたいものだ。
バイエルンの白ソーセージも食べたいし。



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釜石線

2009/11/08 03:14
 午前10時頃から降り出したぼたん雪が、正午を過ぎる頃には本降りになってきたように僕には見えた。
「この雪は、積もらないですよ。」と出張先の会社の人は言った。
 僕は前日の夕方、ここ岩手県釜石に到着した。
明けて朝から客先の会社で、春に納入した製品の調整作業をし、昼前に作業を終えて西宮へ帰るところだった。
屋外に設置したタンクの下に潜り込んでの作業だったので、雪が本格的に降り始まる前に終えることができてほっとしていた。
正午過ぎに帰りの挨拶を終えて、僕は駅へ向かった。
客先の人の言葉とはうらはらに、道路には白い雪が積もり始めていた。

 翌日の朝9時には、広島駅の改札口にいなければならなかった。
前日、釜石に着いてすぐに、「広島の客先で製品の不具合が発生したので、謝罪と対策の説明に来い」という連絡が携帯に入ってきていたのだ。
すぐに会社に戻って書類を作成し、翌日に備えなければならない。
JR釜石線で花巻まで戻り、そこからタクシーで花巻空港まで走る。
花巻空港から伊丹へ向かう便は午後7時前の出発なので、会社に戻ると午後9時過ぎになる。
大急ぎで書類を作成して準備しても、帰宅は午前零時を回るだろう。
釜石線の小佐野駅までの2km近くの距離を歩く間に、雪の降り方は激しくなり、周囲はあっという間に白く覆われていった。
 次の列車まで2時間近く時間があった。
僕は、駅近くの食堂に入って丼の昼食をとり、テレビを眺めて時間をつぶした。
翌日のことを思うと鬱陶しくなるので、会社に戻るまでは考えないことにした。
時々、窓の外を見ても雪が止む気配はなかった。
1時間足らずで食堂に居るのにも飽きて、駅で列車を待つことにした。

 小佐野は、釜石線の終点である釜石のひとつ手前の駅である。
花巻へ向かう場合は、始発の次の駅ということになる。
隣の駅とはいえ釜石駅とは5kmほども離れていて、海からも市街の中心からも遠い。
だから、小佐野駅には海の匂いも、釜石の港や製鉄所の喧噪もない。
小さな駅舎には、まだ列車を待つ客の姿はなかった。
僕は、荷物を床に降ろし、改札口の前の椅子に腰掛けて待つことにした。
改札口と言っても、ごくふつうのアルミサッシの引き戸である。
その引き戸は、列車の到着時刻に合わせて開けられるのだ。
僕は駅舎の空間を独り占めし、文庫本を読んだ。
駅舎の中はしんと静かで、前の国道を通る車の音だけが空気を震わせた。
半時間ほど経つと、ぽつぽつと駅舎に人が集まり始め、日常的なざわめきが入り込んできた。
列車の到着時刻の数分前に改札口が開けられ、僕を含めて数人の客は、屋根のないプラットホームの上に移動した。
ホームを白く覆った雪の上には、いくつもの足跡ができた。
そして、静かに雪降るホームに、前照灯を点した花巻行き2両編成のディーゼル車が近づいてきた。
客たちは、みんな列車の方を向いて迎えた。

 山あいを流れてくる甲子川と絡むようにして走る釜石線と国道に沿って、西に向かって細く続く町並は、北上山地の懐へ深く入っていくにつれて途切れがちになる。
釜石線は、山あいの谷深くまで来ると並走していた国道から離れ、山腹を縫いながら進むようになる。
幾度かトンネルを抜け、気がつけば列車の窓の外には、深い谷が落ち込んでいて驚かされる。
そして、北上山地の脊梁を長いトンネルで抜け、再び国道と近づいたり離れたりしながら遠野盆地へと下って行くのだ。
 時折、雪の国道を走るトラックとすれ違った。
トラックを見るたび、僕はなぜか「旅」を意識し、カメラのシャッターを切った。

 間断なく降る雪が紗幕となり、窓の外の風景はしだいに白黒モノトーンの世界になっていった。
そして、列車が遠野付近に達した頃には、空と地面の境界が溶け合ってホワイトアウトの様相を呈していた。
僕にとって、初めて実際に見る東北の雪景色だった。
列車の窓枠にフレーミングされ、次々と流れ去り変わっていく、国道沿いのひなびた町並、駅のホーム、山中の冬枯れの林、雪の中の曲り家、雪煙の中の防風林、火の見やぐら。
それらの風景は、網膜を通じて僕の全身の感覚と意識に呼びかけてくる。
子どもの頃に見た雪国の風景の絵や写真、雪国の冬の暮らしを描いた絵本の記憶がよみがえる。
僕が抱いていた雪国のイメージだ。
イメージと現前の風景が一致するはずもなかったが、僕は、懐かしさを伴った感慨を覚えた。
 
 翌日のことは考えないことにしたと言っても、現実的には空路の欠航を心配する必要があった。
花巻に近づくにつれて、降雪が激しくなってきていたからだ。
花巻空港発の伊丹行きは欠航だろうと予想した僕は、仙台なら雪は大丈夫だろうと思い、チケットを仙台発に変更してもらおうとJALに連絡した。
新花巻で東北新幹線に乗り換えて仙台まで行き、仙台から伊丹へ戻ろうと考えたのだ。
予想に反して仙台発は全便欠航になり、花巻発はまだ欠航になっていなかった。
しかし僕は、花巻発の欠航も不可避と思い、東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで帰ることに決めた。
なんとしても翌日の9時に広島駅の改札口前に居なければならない。
新幹線だと会社に着くのが24時近くになるけれど、それでも翌午前9時に広島に着くことはできる。
ただひとつの問題は、東海道新幹線の新大阪行最終までの列車にうまく接続できるかどうかだった。
新花巻17時前発に乗り遅れると、その次の列車では東京で最終ののぞみに間に合わない。

 新花巻での乗り継ぎ時間は、10分程度しかない。
釜石線のホームから新幹線のコンコースまでは、離れているので走らなければならなかった。
みどりの窓口の前には、10人ほどの列ができていた。
特急券を発券してもらう時間的余裕はなさそうだった。
ようやくたどり着いた窓口で乗車券だけを買うと、僕はまた必死にホームへ駆け上がった。
列車到着のアナウンスが響いていた。
なんとか間に合ったやまびこ号の中で、僕はひと息ついた。
列車が仙台にさしかかった頃、JALの案内から携帯に、花巻ー伊丹便は欠航になったと連絡が入った。

 日は暮れて景色はほとんど見えなかった。
窓には僕の顔が映っていた。
ここからはもはや旅ではなく、単なる帰路だった。

                               2003年1月

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四国・讃岐 金比羅さんへ

2009/09/23 21:31
四国の琴平、高松、鳴門に行ってきた。
瀬戸大橋からの風景を楽しみ、金比羅さん(金刀比羅宮)にお参りし、
讃岐うどんを味わうという日帰りの旅だった。

出発は、午前4時。
瀬戸大橋に達した時は夜が明けていたので、日の出を見ることはできなかった。
車の窓からは、橋の構造物に視界の半分くらいが遮られるけれど、
早朝の瀬戸大橋上から眺めた瀬戸内海の風景は、十分に美しかった。

午前中の早い時間帯だというのに、琴平の町の駐車場は混んでいた。
昭和の残り香漂う通りの美容院や商店をスナップしながらぶらぶら歩き、
金比羅さんの参道の階段は、最初は両側の土産物屋の店先をひやかしながら、
途中からはあえぎながら上った。
僕としては、珍しく一眼レフカメラを、それも重いニコンにズームレンズを付けて首からぶら下げていたものだから、だんだんと首や背中がだるく、そして痛くなってきて、まいった。

メインイベントの讃岐うどんは、目的の店があったのだけれど、そこに到着した途端、駐車場から店の入口まで続く席待ちの長蛇の列が見えた。
その店はあきらめて、以前入ったことがある店に行った。
結局、そこで天ぷらとこしのある麺をゆっくり堪能でき、かえって良かった。

その後、高松で散歩をし、鳴門の桟橋で釣りをしていたおばちゃんに
サビキの竿を貸してもらってイワシを釣り、大鳴門橋から小さな渦潮を見、
明石海峡大橋のイルミネーションに喝采の声をあげ、戻ってきた。
帰路の第2神明と阪神高速が渋滞していたので、舞子からは一般道をスイスイと、西宮まで全行程500kmあまり、途中で夕食をとって午後10時過ぎに帰着。
少々へばりながらも、駆け足の旅を楽しむことができた。

  今日は、銀塩モノクロームではなく、デジタルカラーで。


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