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zoom RSS 印画紙のストックがきれて、ふと思ったこと

<<   作成日時 : 2010/05/29 18:03   >>

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梅雨入りも近いというのに、昨日も一昨日も寒かった。
天候しか話題がない。
変化がない生活を送っていることが、まるわかりだ。

写真をプリントしていたら、印画紙がなくなってしまった。
調子(号数)が異なる印画紙ならば手持ちがあるのだけれど、
紙の号数を変えたくない。
プリントがヘタクソなくせに、号数紙にこだわるのかい?
と笑われそうだけれど、今現在は、その号数の純黒調光沢紙
と、わりと相性が良いのだ。

僕のプリントは、コントラストが高く、白黒の間の階調が粗い。
しばしばハイライトがとび、シャドウが潰れる。
昔、あるギャラリーのオーナーに写真を見てもらったら、
「プリントが汚い」と一蹴された。
自分の目や皮膚の感覚みたいで好きなトーンなのだけれど、
受け入れられなかった。
写真に取り組む姿勢を批判されるかもしれないけれど、
僕にとって、印画紙はRCでもバライタでもかまわないし、
プリントの質(?)も自分自身の基準で良いと思っている。
それらは、僕にとって第一義ではないからだ。

有名な写真家が、
「印刷されて、はじめて写真という感じがする」
というようなことを言った、という文章を読んだことがある。
だいぶ昔の発言で、今とは写真を巡る状況も異なるだろうが、
僕も似たようなことを思う。

写真は、プリント単独で流通するよりも、印刷メディアや
WEBのような電子メディアに乗って流通していく方が一般的だ。
多くの人の目に触れる写真の最終形態は、プリントよりも
本や雑誌などの印刷物やWEBサイトが圧倒的に多い。
そこでは、プリントやポジフィルムをスキャンした画像や、
最近ではデジカメで撮影した画像が使われる。
写真プリントは、現像済みポジやネガと同じ中間的なメディア
でもあるのだ。

プリント1枚が作品として価値を持つ、というのも、現実として
わからなくはない。
写真の価値が認められると、プリントの価値も認められ、絵画
作品のように取引されるようになる。
僕の写真は、そのように売買されてはいないが、それで収入が
得られれば助かるし、うれしいことだ。

そして、もちろん僕はプリントが好きだ。
暗室ランプの下、現像液に浸した印画紙に、像が徐々に浮かび
上がってくる。
濡れて光る像は、艶かしい。

僕の第一義は、写真であることだけれど、それはどういうこと
かと問われると答えが難しい。
独りよがりな思考で、物事を一方的に見るだけならば、
その思考を超えるものは、印画紙にもどこにも現れはしないだろう。
行うは難しだけれど、そこはわきまえていきたいと思う。


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