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zoom RSS 神戸・臨港線 2

<<   作成日時 : 2010/04/25 16:50   >>

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4月下旬なのに、風が冷たくて寒い。
しかし、日差しはそれなりに強くて、
夕方、西日に向かって歩くと、
逆光線が目に痛くてイライラする。
逆光で写真を撮ることもあるけれど、
かんたんに情緒的な絵になるので、
あまり良くないと思っている。

臨港線の線路を撮ったネガが出てきたので、
プリントしてみた。
タカバシから見た西側の風景だ。
撮影日は2002年9月8日。
廃線になる1年あまり前で、
りっぱな電化路線だったのである。

僕が臨港線と記す場合、神戸の臨港線を指すけれど、
臨港線というのは、神戸以外にも各地にあるらしい。
そういえば、現在住んでいる西宮にも臨港線がある。
こちらは、鉄道ではなく道路で、西宮市内だけでなく、
西は芦屋から東は尼崎をまでつなぐ、臨海部の道路だ。
95年の震災直後には、阪神間の国道が使えなかったので、
よく利用したものだった。

こどもの頃、臨港線にはディーセル車が走っていた。
電化されたのはいつだったのだろう。
僕は、国道2号線を斜めに跨ぐ春日野道の橋梁の上に
架線が張られたのを見て、気付いたことを覚えている。
ネットで調べたら、電化されたのは1981年だった。
最新のコンテナバースを備えたポートアイランドの完成を
内外にアピールするため、半年にわたる華やかな博覧会・
ポートピア81が開催された年だ。
僕にとっては、学生生活最後の年だった。
そして、あるひとりの女性と別れた年でもあった。

すでに六甲アイランドも建設中で、
港湾輸送の現場はコンテナバースを持つ人工島へシフトしていく
時代だったように思うけれど、従来の貨物用の突堤につながる
臨港線は、この頃に電化されたのだった。
わざわざその頃に何故と、今の僕は思うけれど、車両の事情などが
あったのかもしれない。
臨港線は、その後も20数年間営業を続けた。
電化費用の元は取れたのだろうか、

こどもの頃から臨港線が好きだった僕にとって、
臨港線が消えたことは、さみしいかぎりだ。
小学校の社会科地図帳の神戸の拡大図には、
各突堤に櫛の歯のように入り込んだ引込み線も記されていた。
それを見ながら、神戸の港に着いた世界からの輸入品が全国へ、
あるいは全国からの輸出品が神戸の港から世界各国へ運ばれて
いくことを想像することが、楽しかった。

メリケン波止場や中突堤の入口には、大きな踏切があったし、
中突堤から西は、阪神高速の高架下、国道2号線と上屋の間の
狭い部分に線路が通っていた。
たまにその辺りに行った時、のろのろと動いている貨物列車に
遭遇するとうれしかった。
もっと小さなこどもの頃には、家の近くの臨港線の線路脇の溝で、
アメリカザリガニやイモリを獲って遊んでいたのだ。

世の中が変化し、風景も変貌していく。
それは、ごく普通のなりゆきで、
さみしがったり懐かしんでばかりいても仕方がない。
しかし、その町、その場所に埋もれた記憶の声に耳を澄ましてみたり、
想像をめぐらせて風景との対話を試みることは、
未来を考えるうえで、無駄なことではないと思う。


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