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<<   作成日時 : 2009/11/30 22:46   >>

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水道筋は、神戸市灘区にある商店街だ。
灘区の中ほどちょい西を流れる都賀川の西側から阪急王子公園駅の手前
の青谷川まで、山手幹線と呼ばれる道路の北側に並行し、東西1kmにわ
たって続く。
東西の通りだけれど、「筋」なのである。
この東西の水道筋商店街に灘中央筋と灘センターという南北の商店街、
灘中央、畑原、東畑原の各市場、畑原東商店街がつながり、大きな商業
ゾーンを形成している。
そして、その一帯を総称して「水道筋」と呼んでいるのである(と思う)。

その昔、神戸市が、千刈貯水池から西宮の上ヶ原浄水場を経て市内へ
導水するために敷設した水道管の上を道路化し、水道筋と呼ぶように
なったそうだ。
ちなみに、東灘区にも山手幹線の傍に「御影水道路(みかげすいどうみち)」
というバス停があるし、住吉川には山手幹線の橋に並行して水道管が
渡っているのが見え、「水道橋」という名のバス停がある。

僕が小学校2年生だった秋、灘区の灘南通という町から東灘区の赤塚山
というところに引っ越した。
阪神電車の御影駅前から赤塚山方面へ向かうバス(鴨子ヶ原行き)は、
途中「御影水道路」に停まった。
「御影にも水道筋みたいな場所があるんや。ひょっとしたら水道筋から
続いてるんかな。」と、こども心に思ったものだ。
「すいどうみち」という名に慣れず、僕はよく「御影水道筋」と誤って
呼んでいた。
「御影水道路」を「御影水道筋」と言い誤っていたのは、僕だけでは
なかったと思う。
それは、灘の水道筋の名がよく知られ、浸透していたからではないだろ
うか。

僕は、生まれてから7歳までを灘区で過ごした。
じつをいえば、前回「我が心の水道筋」などと書いたわりに、僕は
水道筋をよく知らないし、まとまった思い出がない。
ものごころついてから、日々の買い物に行く母にくっついて水道筋へ
通っていた数年間のうちの断片的な記憶と、水道筋の近所の高校に通っ
ていた頃のわずかな記憶があるだけだ。
しかし、それらは淡く頼りないけれど、たぶん僕の中に核としてある
ものなのだ。

昭和39年〜40年頃、こどもの目線で見れば、水道筋は広くて人通りが
多く、活気があった。
僕の記憶のカケラを辿ってつなげれば、以下のとおりだ。

タイル貼りのガラスのショーケースがある肉屋、塩の中にゆで卵が並べ
てあった鶏卵屋、かしわ(鶏肉)屋、大きな肉のブロックを積んでいた
鯨肉屋、水の中で豆腐がゆらゆら揺れているように見えた豆腐屋、威勢
のいい呼び声が飛び交う魚屋、八百屋、乾物屋、天ぷら屋、漬物屋、
果物屋、菓子屋・・・。
思い出すのは食料品店ばかりだけれど、ほとんど日々の食材の買い出し
だったから、しかたがない。
コロッケは、肉屋が揚げていた。
ジャガイモの串揚げも肉屋で売っていたのだろうか。
時々、ゆで卵やコロッケを買ってもらって食べたり、夏には、豆腐屋で
ソップを飲むのが楽しみだった(今は豆乳という呼び名になっている)。
鯨肉屋の大将は、大きな包丁で店先に積んだ肉のブロックを薄く剥ぎ、
客に試食をさせていた。
「生の肉を食べとお!」とびっくりしたけれど、それは刺身で食す
「尾の身」だったことを知った。
現在では、僕がお目にかかることは、まずない食材だ。
市場の中は、いつも人が行き交い混雑していた印象がある。
人通りが多いからか、市場の入口には軍服を着た傷痍軍人が座っていた。
幼かった僕は、その姿が怖くて、ドキドキしながら横を通り過ぎたもの
だった。
たまに叔母について行った銀行では、夏にはウォータークーラーで冷た
い麦茶のサービスがあり、それも楽しみのひとつだった。
夏の夜店は、綿菓子、金平糖などのお菓子やおもちゃ、花火など心躍る
品々を売る店が並び、夢のように華やかだった。
年末、つきたての餅やしめ飾りを買い求めに行くのも水道筋だった。
年の瀬の市場の喧騒には、普段とは違う「艶」のようなものを感じた。
山手幹線に、まだ緑のツートンカラーの市電がガタゴトと走っていた。
灘南通の家から水道筋までの街路沿いにもいろいろなものがあった。
店先の止まり木に鎖でつないだトビ(だと思う)がいる商店があった。
トビは、爪とくちばしが鋭く曲がっていて、猛禽の眼光でこちらを見る
ので、僕は怖くてたまらなかった。
和漢薬の店だったか、生きたヘビがのたくっているショーウィンドーも
あった。
日暮れてからマンガ本を買ってもらいに行った本屋。
虫歯の治療に通った歯医者。

その頃の僕にとっては、どこへ行っても見るもの全てが新しい経験だった。
水道筋や、家から水道筋への街路上で見、知った事柄は、日々似たよう
なことを繰り返し経験しながら、だんだんと僕に沁み込んでいったのだと思う。
多くの経験は、その積層の中でいつのまにか眠り込んでしまうけれど、
いくつかはおぼろな断片になりながらも、僕を構成する核のようなものに
なっていったのだ。

僕は、現在も時々水道筋を訪れ、歩き回る。
変わっていない場所もあるのだろうけれど、僕の記憶に残る往時のものは
、既にないものがほとんどだ。
街は、成長し、変化していく。
そのスピードは一様でなく、停滞することもあるかもしれないけれど。
古くなったものは解体され、また新たに建設され、人も入れ替わり、
そして新しい風景が生まれていく。
そして、人間の記憶が積み重なって増えていくのと同じように、街にも
、消えていく風景の痕跡のようなものが、目に見えない気配のような形
で残っていくのではないかと、僕は想像する。
僕にとって、水道筋はそういうものと交感できるチャンネルを持つ場の
ように思えるのだ。
目をこらし、耳をすましていると、僕の心の奥深く眠り込んだ記憶も
呼び起こしてくれるのではないか、という思いに駆られる。


去る11月1日に開催された水道筋ミュージックストリートを、初めて
聴きに行った。
じつは、行くには行ったけれど途中で事情ができて帰ってしまったので、
あまり多くを聴くことができなかった。
だから、何を書こうかと考えているうちに今に至ってしまった。
水道筋には、音楽ライブも似合う、というのがひとつ目の感想だ。
意志とエネルギーが集って行動する場所に、また人が集まってくるのだ
なあ、というのがふたつ目の感想だ。
そして、空間がそれに似合ってくるのだ、というのが三つ目の感想だ。
来年は、もちっとゆっくりと腰を据えて聴きたいと思う。



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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
偶然こちらのブログにたどり着いたのですが、モノクロの写真がとても味わい深くすばらしいと思いましたので少しコメントを残さしていただきました。
ニワトリ
2009/12/25 00:42
コメントありがとうございました。
ここ数日のパソコンのトラブルで遅くなってしまいました。
よろしければ、また覗きにきてください ^ ^ /
yasuwan
2009/12/31 14:25
こんにちは先日コメントを書かせてもらった者です。
再度お邪魔して見ていたら水道筋が書かれてあって
驚きました。

商店街東端の昔の写真や戦艦プラモ、傷痍軍人の話、
喫茶店の写真、
映画館が数件もあったこと知りませんでした。

懐かしいです。

by springtide/フォト蔵
springtide
2012/01/04 17:26
springtideさん

あけましておめでとうございます。
再度のご来訪ありがとうございます。
springtideさんもご出身は灘区ですか?
傷痍軍人さんや映画の話は、僕の幼い頃
(昭和40年頃迄)の記憶なので、あまり
鮮明ではないのですが、映画館の数も
かつては7館を数えたそうです。
僕は、時々揚げ物が食べたくなると、
水道筋の市場に行き、ついでに写真も
撮ってきます。
ではでは、いずれ機会あれば水道筋で
お会いしましょう。
yasuwan
2012/01/04 23:42
明けましておめでとうございます。
連投してしまいすみません。

実は水道筋に実家があり米屋を今でも営んでおります。
小学校と水道筋が子供の私の全世界でした。
30円握って水野さんのコロッケを買いに行ってましたね〜
ではではまたの機会に
springtide
2012/01/05 12:50
springtideさん

生粋の水道筋育ちなんですねー。
僕は、灘南通に住んでいました。

p.s. よかったらご実家のお店を
こっそり教えてください ^ o ^

yasuwan
2012/01/06 02:14

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