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zoom RSS 釜石線

<<   作成日時 : 2009/11/08 03:14   >>

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 午前10時頃から降り出したぼたん雪が、正午を過ぎる頃には本降りになってきたように僕には見えた。
「この雪は、積もらないですよ。」と出張先の会社の人は言った。
 僕は前日の夕方、ここ岩手県釜石に到着した。
明けて朝から客先の会社で、春に納入した製品の調整作業をし、昼前に作業を終えて西宮へ帰るところだった。
屋外に設置したタンクの下に潜り込んでの作業だったので、雪が本格的に降り始まる前に終えることができてほっとしていた。
正午過ぎに帰りの挨拶を終えて、僕は駅へ向かった。
客先の人の言葉とはうらはらに、道路には白い雪が積もり始めていた。

 翌日の朝9時には、広島駅の改札口にいなければならなかった。
前日、釜石に着いてすぐに、「広島の客先で製品の不具合が発生したので、謝罪と対策の説明に来い」という連絡が携帯に入ってきていたのだ。
すぐに会社に戻って書類を作成し、翌日に備えなければならない。
JR釜石線で花巻まで戻り、そこからタクシーで花巻空港まで走る。
花巻空港から伊丹へ向かう便は午後7時前の出発なので、会社に戻ると午後9時過ぎになる。
大急ぎで書類を作成して準備しても、帰宅は午前零時を回るだろう。
釜石線の小佐野駅までの2km近くの距離を歩く間に、雪の降り方は激しくなり、周囲はあっという間に白く覆われていった。
 次の列車まで2時間近く時間があった。
僕は、駅近くの食堂に入って丼の昼食をとり、テレビを眺めて時間をつぶした。
翌日のことを思うと鬱陶しくなるので、会社に戻るまでは考えないことにした。
時々、窓の外を見ても雪が止む気配はなかった。
1時間足らずで食堂に居るのにも飽きて、駅で列車を待つことにした。

 小佐野は、釜石線の終点である釜石のひとつ手前の駅である。
花巻へ向かう場合は、始発の次の駅ということになる。
隣の駅とはいえ釜石駅とは5kmほども離れていて、海からも市街の中心からも遠い。
だから、小佐野駅には海の匂いも、釜石の港や製鉄所の喧噪もない。
小さな駅舎には、まだ列車を待つ客の姿はなかった。
僕は、荷物を床に降ろし、改札口の前の椅子に腰掛けて待つことにした。
改札口と言っても、ごくふつうのアルミサッシの引き戸である。
その引き戸は、列車の到着時刻に合わせて開けられるのだ。
僕は駅舎の空間を独り占めし、文庫本を読んだ。
駅舎の中はしんと静かで、前の国道を通る車の音だけが空気を震わせた。
半時間ほど経つと、ぽつぽつと駅舎に人が集まり始め、日常的なざわめきが入り込んできた。
列車の到着時刻の数分前に改札口が開けられ、僕を含めて数人の客は、屋根のないプラットホームの上に移動した。
ホームを白く覆った雪の上には、いくつもの足跡ができた。
そして、静かに雪降るホームに、前照灯を点した花巻行き2両編成のディーゼル車が近づいてきた。
客たちは、みんな列車の方を向いて迎えた。

 山あいを流れてくる甲子川と絡むようにして走る釜石線と国道に沿って、西に向かって細く続く町並は、北上山地の懐へ深く入っていくにつれて途切れがちになる。
釜石線は、山あいの谷深くまで来ると並走していた国道から離れ、山腹を縫いながら進むようになる。
幾度かトンネルを抜け、気がつけば列車の窓の外には、深い谷が落ち込んでいて驚かされる。
そして、北上山地の脊梁を長いトンネルで抜け、再び国道と近づいたり離れたりしながら遠野盆地へと下って行くのだ。
 時折、雪の国道を走るトラックとすれ違った。
トラックを見るたび、僕はなぜか「旅」を意識し、カメラのシャッターを切った。

 間断なく降る雪が紗幕となり、窓の外の風景はしだいに白黒モノトーンの世界になっていった。
そして、列車が遠野付近に達した頃には、空と地面の境界が溶け合ってホワイトアウトの様相を呈していた。
僕にとって、初めて実際に見る東北の雪景色だった。
列車の窓枠にフレーミングされ、次々と流れ去り変わっていく、国道沿いのひなびた町並、駅のホーム、山中の冬枯れの林、雪の中の曲り家、雪煙の中の防風林、火の見やぐら。
それらの風景は、網膜を通じて僕の全身の感覚と意識に呼びかけてくる。
子どもの頃に見た雪国の風景の絵や写真、雪国の冬の暮らしを描いた絵本の記憶がよみがえる。
僕が抱いていた雪国のイメージだ。
イメージと現前の風景が一致するはずもなかったが、僕は、懐かしさを伴った感慨を覚えた。
 
 翌日のことは考えないことにしたと言っても、現実的には空路の欠航を心配する必要があった。
花巻に近づくにつれて、降雪が激しくなってきていたからだ。
花巻空港発の伊丹行きは欠航だろうと予想した僕は、仙台なら雪は大丈夫だろうと思い、チケットを仙台発に変更してもらおうとJALに連絡した。
新花巻で東北新幹線に乗り換えて仙台まで行き、仙台から伊丹へ戻ろうと考えたのだ。
予想に反して仙台発は全便欠航になり、花巻発はまだ欠航になっていなかった。
しかし僕は、花巻発の欠航も不可避と思い、東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで帰ることに決めた。
なんとしても翌日の9時に広島駅の改札口前に居なければならない。
新幹線だと会社に着くのが24時近くになるけれど、それでも翌午前9時に広島に着くことはできる。
ただひとつの問題は、東海道新幹線の新大阪行最終までの列車にうまく接続できるかどうかだった。
新花巻17時前発に乗り遅れると、その次の列車では東京で最終ののぞみに間に合わない。

 新花巻での乗り継ぎ時間は、10分程度しかない。
釜石線のホームから新幹線のコンコースまでは、離れているので走らなければならなかった。
みどりの窓口の前には、10人ほどの列ができていた。
特急券を発券してもらう時間的余裕はなさそうだった。
ようやくたどり着いた窓口で乗車券だけを買うと、僕はまた必死にホームへ駆け上がった。
列車到着のアナウンスが響いていた。
なんとか間に合ったやまびこ号の中で、僕はひと息ついた。
列車が仙台にさしかかった頃、JALの案内から携帯に、花巻ー伊丹便は欠航になったと連絡が入った。

 日は暮れて景色はほとんど見えなかった。
窓には僕の顔が映っていた。
ここからはもはや旅ではなく、単なる帰路だった。

                               2003年1月

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